三連休の過ごし方

2005年5月1日
今年はゴールデンウィークも全然ゴールデンではなく・・・。

まあ、今のポストに異動が決まったときに、しばらく休みはとれないだろうなあと覚悟はしていた。というのも前任が仕事をきちんとしていなかった人で、資料もきちんと整理出来ない人だったから。

実際に自分が異動してみて自分が思っていた以上にひどいことがわかった。資料は気分のままに綴られていて何が何だかわからず。引継もろくなもんではなかったので、過去の資料をあたるしかないだろうとは思っていたけど・・・。

4月は支払い業務で2週間に3キロ痩せるくらいのひどい目にあったけど(もう元に戻ったけど)、今は自分が仕事を進めるために必要な資料を整える仕事をしている。そんなこと本当は私の仕事じゃないと思うんだけど。いつも資料の整理から始める私の仕事。誰か意図的にそういう人事を行っているのだろうか?

今の仕事は前の仕事みたいにイベント系ではないので華やかなものではない。でも詰める仕事に慣れている私としてはなかなか経緯を追っているだけでも結構おもしろい。できればこのゴールデンウィーク中に資料整理が終わればいいのだけど。

そう。三連休は母の病院と職場を三角形に行き来してました。自分が倒れないように適度に頑張ってます。

余計なお世話

2005年4月28日
今日は再来月のイベントでの挨拶の件で幹部に相談に行った。この程度のことであれば前の係の時も1人で平気で幹部の部屋に行っていたのだけど、戻ってきてから後任が「今なんの関係で幹部の部屋に入ったの?」と聞いてくる。

はあ?何でそんなことあんたに報告しなくちゃいけないのよ。

後任は私より2つ上だし、本社経験は私よりも長い。でも意外とポスト的にはあまり恵まれていない。本社のチーフも今回が初めてだ。

でも私もその担当になったときは初チーフだったし、初めてだから何でも教えて〜というのは甘えにしか聞こえない。そして今回の「何で?」という質問にはとどめのげんなり。

彼女的にはまだ幹部の部屋に自分1人で入ったこともなく、後輩の私が何で1人で平気で入れるのか羨ましかったのもあるかもしれない。でも自分の仕事もきちんとできないで私が言ったように動いているくせに、私がやっている仕事のことを気にするのはどうかと思う。こっちの仕事に首をつっこむ前に自分の仕事を満足に動かせるようになりなさいよ#

きついようだけどそう思う。

もともと私の異動がなかったかもしれないのに、自分で好きこのんで人事担当者に売り込んで私を隣の係に追いやっておいてそういうちゃらちゃらした仕事の仕方が気に入らないんだろうと自分でも思う。

大人になりきれない私。適当に流しておけばいいのにね。

MRI

2005年4月28日
今日は部長先生から母の病気の説明があるというので、また早めに職場を出て病院へ。補佐と向かいのチーフに話をして、形ばかりでも「迷惑をおかけしますがよろしく」と言った。

補佐は今急ぐ仕事もないだろうし、母の関係に全力投球になってもらっていいと言ってくれた。言ってくれるのはいいけど、今急ぎの仕事ないでしょう?っていう言い方はいやねえ。今急ぎじゃなくても母親の関係が落ち着いたら急ぎになってたらどうするのかしら。その後始末は結局私がするんだから、仕事の関係で適当なことを言うのはやめてほしいわ。まったく。

そして向かいのチーフは私の後任。話をしたらすごく心配してくれるのはいいけど、「グループでみんなでサポートするから」って。
はあ?誰がサポートするって?あんた、いまだに前任の私にいろいろ仕事の話を含め、幹部への説明の仕方まで聞いてくるジャン。自分の仕事も満足にできてないくせに私の仕事をどうやってサポートしてくれるって?

こんな人たちに囲まれてストレスもたまるわねえ。唯一救われてるのは部下が意外としっかり仕事をしてくれるってこと。部下をもつようになって3年、初めて部下に恵まれたと言ってもいいくらい。八方ふさがりじゃないだけ、まだ去年の本厄よりはましかな。

そして部長先生のお話。これまた待たされたあげくの話だったのだけど、直径6センチほどの異物が母の頭にあると。でもこれだけ大きいものだったら自覚症状もあっていいはずなのにそれが見られないのが不思議だ。なんにせよ異物を頭に残して置いても脳を圧迫してよろしくないので切断しましょう。そしてその切った物が何かを調べて今後の治療方針を立てましょう。

へーへーそうなんだ。なんか大事そうなのに自覚症状もない母。その辺が何となく母らしいといえば母らしい。母は頭を切るというのが不安らしいけど、でも爆弾を頭に抱えているよりは切って快復した方がいいに決まってる。

なまじっか連休が重なったばかりに手術はまだ先になりそう。でも正直言って病院に入院しているのは安心だ。家にいてひっくり返られるよりは対処のしようもあるというもので。

これからまだまだ時間がかかりそうだ。でもこれから私の出番だ。親の介護をする時期がきたんだなあ。

###

2005年4月27日
今日は母の病状のことで医者から説明があるとのことで職場を早めに出て病院へ。父も私もそろって家族3人で待機していた。

約束の時間を過ぎても医者が来ない。

んあ〜?とか思っていたら若い医者がやってきた。「詳しい話は明日、部長先生からご説明します。本当は今日時間がとれればよかったのですが、部長もお忙しくて・・・それでは」

はあ?部長もお忙しくて?

こっちだって忙しいよ。医者だからって呼びつけておいてまた来いってどういうこと?とか思ってすごく腹立ち。しかも敬語の使い方間違ってるから#

・・・大丈夫かなあ

母の入院

2005年4月25日
今朝、母が入院した。もともと糖尿病を患っていて、かかりつけの病院には定期的に行っていたのだけど、今回担当医師が他の病院に行ってしまうとかで最後に気になるところを検査しましょう、という検査入院をするということになっていた。

でもその検査初めの一歩でいきなりひっかかった。

ここ1〜2年くらい物忘れが激しくなったり、信じられない行動をとることもあった母。ぼけてきたのかと思っていたのだけど、どうやら脳に異物があるらしい。

脳梗塞?脳腫瘍?

何だか脳の病気って恐ろしい。内臓も大変だけど、でも頭ってやっぱり手術とかもなんだか怖い。

そして母は今日、その第一歩の検査でひっかかった結果で危ないと判断され入院してさらに詳しい検査を受けることになった。

まだ何だかわからないけど、自分の親にそういうことがおきるって何だかすごく動揺する。数年前に父が心不全やら心筋梗塞をやったときよりも何だか不安。普段はイライラすることが多い母だけど、でも死んでしまうかもしれないと思うと目が潤んでくる。

そして今朝、母と一緒にタクシーで行きつけの病院に行って入院の手続きを済ませた。

午前中だけ仕事を休んで午後から行ったら職場の人が心配していろいろ聞いてくる。まだわからないんです、とかいいながら泣きそうだった。

補佐が母の面倒を見る方に全力を注いでいいと言ってくれたけど、今の段階ではどうなるかわからないのにそう言われてもねえ・・・。相変わらず不器用な補佐。でも私は母の入院を言い訳に仕事をおろそかにはしない。前の彼が自分の子どもの入退院を理由に仕事をさぼっていたときのようにはなりたくない。

人生のキャリア

2005年4月23日
今日は仕事の関係である会合での挨拶をすることになっていた。正直休みの日だし、朝早いしうへ〜と思っていた。

しかも挨拶!

私は今年で就職して10年になるけど、書類とかを作ったり、いろんな部署との調整はだいぶ上手になったと思っているけど、人前で話をするのが本当に苦手。昔はすごい目立ちたがりで、学芸会でも少しでも台詞の多い役を選んでいたというのに、どうしてこんなになっちゃったのかしら?

まだ慣れてないし、せいぜい10分にしてくださいとお願いしていたにも関わらず、行ってみたら基調講演を30分お願いしますとか言われて。

はあ?基調講演??聞いてないよ###

青ざめる私に仕事の話でいいですから適当に話をしてくださいよと追い打ち。まあ、自分がやってきた仕事の話なら何とかなるかな。そう思って頑張って話してみたけど20分が限界。

上司への説明みたいな話を20分くらいして、さあ帰ろうかと思ったら懇親会へ。早く終わらないかなあと思いながらの2次会が終わったら、電車の時間待ちとか言って3次会まで連れて行かれ。結局1日がかりになってしまった。

今後も何回となくある挨拶。毎回これじゃあ休みなんかないなあとちょっとうんざりもしつつも、机上の空論になりがちな通常の仕事では見えてこない大事な時間でもあるのは確か。

今年は前任がつぶしてしまったいろんな人との関係の再構築に努めるぞ!

でも挨拶とか講演とかって本当に難しい。それは私にそれだけのネタがないからってこともあるのだろうけど・・・。でも苦手だからって逃げないで自分の人生のキャリアにしていけるように頑張ろう。

前進したい

2005年4月19日
今日は久しぶりに補佐と仕事でぶつかった。

来年の3月には結論を出さなくてはいけない仕事がある。それは数年前に期限が決められた仕事だ。なのに私の前任は何も準備していなかった。それは知っていた。そして私はまた自分がその尻拭いという認識をもっていた。だからこそ、今年度の大きな仕事だとも思っていた。

そしてそのことに詳しい人に今日話を聞きながら、早急に準備に取りかからないと間に合いませんよという忠告を受けた。

他にすぐやらなくてはいけない仕事もあったのでその対応をしつつ、今月中には自分なりの方向性をつけて上司に相談するつもりでいた。けれど別件で補佐が話をしてきたのでその懸案事項について現段階の自分の考えを言ってみた。

玉砕。

私の提案は非常に面倒な仕事だ。でも私が担当する部署として必要な仕事だと私は思っている。でも補佐は面倒な仕事をしたくないのか他の人にまかせきりにしていた。

我々は一切ノータッチでいいんですか?後々で不作為を責められはしませんか

そう言ってみたがグズグズ言っている補佐。補佐が着任してから2年ちょっと経つが、その間まかせきりにしていて何も進んでいなかったこともオブラートに包まず言ってしまった。

自分が不利になると急に私にじゃあどうするのかと詰め寄る補佐。だーかーらー、さっきからいってるジャンって事を何度も言わせる。そして疲れ果てて、もういいですよ、出しゃばったこと言ってすみませんと引き下がろうとしたら今度は不安になっていろいろ言ってくる。

どっちなんだよ#

本当に先が読めない人だ。これでも幹部候補生なの?っていつも思う。こんなご時世だからこそ、目的意識をもって仕事をするべきだと思うのに、そういう意気込みでやろうとするとこの補佐で気分が萎えてしまう。

私の考えにケチをつけるなら、自分のスタンスをきっちり貫けばいいのに。

もう疲れ果てて自分の席に戻った私に、考えますと言ってきた補佐。でも彼の言葉は信用できない。私は私で準備をしよう。いつか補佐が異動になったときに早急に対応できるように下準備を整えよう。もうこの補佐とやり合うのは自分の意欲をそがれるばかりで本当に役に立たない。

補佐のスタンスでは私のグループの存在意義はない。そこまで否定するほど自分のスタンスがあるの?と問いたい。こんな人が出世していくのかと思うと本当にやりきれない。

今の現状を守る仕事があるのは知っている。でもいつも現状維持だったら仕事は前に進まない。我が社の存在意義だって問われてしまう。どうしてこの人はそんなこともわからないのだろう。

私は常に前進していきたい。

飲み会

2005年4月15日
今日は職場のグループの飲み会だった。何だかよくわからないけど幹事に何となくなり、こぎれいな店をセレクト。

掘り炬燵だったのだけど、何だか足のにおいがぷーんとする。

え。私の足こんなにくさかったかしら・・・。

とちょっと不安に思いつつ、誰も何も言わないのが何だか妙におかしくて1人で笑っていた(後で思ったのだけどどうやらあのにおいは私の足ではなかったらしい。家に帰って靴を脱いでもあんなにおいはしなかった!)

最初はおとなしく飲んでいたけど、途中から育休あけの彼女の部下がかなり酔っぱらってきて私にからむからむ。そこまで酔っぱらっていない私としてはなんだコイツと思いつつ、なんとか我慢我慢。

そのまま帰ろうと思ったらもう1軒行こうという酔っぱらいにつきあって、前彼とよく行っていたバーに連れて行こうかとも思ったけど思い直して喫茶店もどきの店へ。

人間関係円滑にするのは大事なことだけど、ちょっときついなあ。

育休あけの彼女の下にいる部下を気遣っていたつもりの私。でもそんな上司がすごくいい人だと部下の彼女は言う。はあ、そうですか。だったらもうかばわんわい。すねる訳ではないけどだったら好きにしろとなげやりに思ってしまう私は大人げないかしら。

元・幹部をたずねて

2005年4月14日
今日はだいぶ仕事が落ち着いてきたので元上司のところにお届け物に行ってきた。

年度末に行ってきた出張旅費や、書類をもっていざ元幹部がいる職場へ。そこは私が幼少の頃にうろついていた地域。歩きながら懐かしさも半分。わざとではないけど遠回りしてしまい、すごく時間をかけて行ったのに、元幹部は打ち合わせ中。彼は打ち合わせを始めると長いのは知っていたので置き手紙だけして帰ってきた。

置き手紙を書きながら漏れ聞こえてくる元幹部の声を聞いて何だか泣きそうになった。

まわりの人は細かいことにこだわる元幹部を嫌っている人が多かったけど、私は本社にきてから尊敬できる上司の3人目に追加していたほど慕っていた。いつかまたどこかで一緒に仕事ができたらいいな。

でもどうしてこういう何事にも真面目に仕事をする人が重宝されないんだろう。今いろんな意味で踏ん張りどころな我が社にどういう人が必要なのか考えてもいいんじゃないの?人事担当者さん。

お見合い結婚

2005年4月14日
年度始めのバタバタがだいぶ落ち着いてきたので今日は早く帰ろうと思っていたら、年上のバイトさんから「ちょっとお話できませんか」とメールがきた。

おお。愚痴かな。

と思いつつ、しばらくおつきあいしていなかったので夜ご飯でも食べますかとか言いながら職場を早めに出た。

道中、いきなり「私来週結婚することになったの」と言う彼女。

はあ?来週?結婚??

どうやら結婚するためにお見合いを何度かしていたらしい彼女。でも来週の結婚を今言うなんて水くさいジャン・・・。

と思っていたら、年度末・年度始めに忙しくしていた私に言うタイミングがなかったとのこと。おお、それはすみません・・・。だって忙しかったんだもの・・・。

でも正直、彼女の結婚の話はちょっと動揺。自分より年上の人で独身でいる人を見ては彼女も一人だしとか勝手に自分を慰めていた私。でもやっぱりみんな結婚していくんだな。

私はこれからどうなるんだろう。

でも仕事してて自分一人で食べていけるというのは言い訳だけどまだしばらくその言い訳使っちゃうかも。

誕生日

2005年4月12日
今日は父の誕生日。

でも仕事しながら書類に日付を書いて気づいた。今日、父さんの誕生日だった!朝何も言ってあげなかったなあ・・・せめて早く帰っておめでとうくらい言うかと思っていたら意外と仕事でテンぱる。

うーむ。

そして自宅へ電話。父におめでとうだけ言って帰宅は結局夜中。一緒に暮らしているのにそんなのってありかな。

私の後任は一緒に暮らしているっていいね〜なんて言っていたけど、本当にそう思うの?あんたのフォローで日々疲れている私に言う言葉じゃないよなあと思ったりもしたり。

仕事と育児の両立

2005年4月9日
賛否両論あるのを覚悟で書きます。

私の後任は育休あけの人です。彼女は私がやっていた仕事をしたくて希望してきたと聞いています。

でも私がやってきた仕事はイベント系なので夏・秋はメチャメチャ忙しいし、出張も多いところです。

小さいお子さんがいながらよくそんなところを希望してきたなあと不思議に思っていたのだけど、実はあまり本人としては覚悟してきた感じではなく。

子どもを保育所に預けて職場に復帰した彼女。旦那とかわりばんこでお迎えをするということをかんがえている模様。お迎えに行くことを想定して変則的勤務形態を申し出たとのこと。

結婚もしていなく、子どももいない私でも仕事と育児の両立は大変だろうというのはわかる。でもそれなら無理してそんな忙しいとわかっている部署に何で希望してきたんだかと不思議に思う。

せめて子どもが大きくなるまで定時に帰れる部署にまわしてもらって落ち着いてからやりたい仕事をしてもいいんじゃないかな。

彼女が100やるべき仕事を80やるとしたら残りの仕事は私や彼女の部下がかぶることになる。それを彼女は自覚してるんだろうか。子どもがいるんだから優遇されて当然なんて考えでいるんだったら私としては許せない。甘えるなって思う。

プライドの高い彼女。どこまでできるのかお手並み拝見という現状。

補佐も彼女を受け入れることに悩んだと言っていた。変則的勤務形態は認めてもいいけど、出張は行ってもらうことを引換条件に出したとのこと。私に出張を押し付けることがあったら補佐からちゃんと釘をさすと言ってくれた。補佐の言葉はその都度変わるのであまりあてにできないけどそれはきっちり言ってもらおうと思う。なめた気持ちで仕事をしてもらっては困るし。私はチーフだからある程度かぶることは想定していたけど、彼女の部下がつらい思いをすることは避けなくてはいけないと思う。

でも本音ではできれば早いうちにしかるべき部署に異動してもらいたい。

後始末

2005年4月8日
4月に異動になってまずとりかかった仕事は支払い業務。6日までにある程度のところまで終わらせている必要がある仕事を4月に入ってから取りかかったからそれはそれは尋常ではなく。

前任に年度内に終わらせておいてとお願いはしていたものの、予想通り何もしていなかった。まあ、前任は仕事を全部部下にやらせていたから自分では何もできなかったんだろう。期待はしていなかったから覚悟はできていたけどやっぱり大変だった。今週は2時3時まで仕事をするのは当たり前。遅いときは5時近くまで仕事をしていた。そんな中なんとか持ちこたえた私はまだまだ体力があるんだなあと変に感心してみたり。

就職して10年。前任に恵まれたことがない私。いつも残務整理というか後始末系の仕事が多い。仕事ができない人は公務員といえどもどんどんクビにすればいいのにと思う今日このごろ。

でもできの悪い前任の後だからこそ私の仕事を認めてもらえているというのもあるかもしれないけどね・・・。

新年度

2005年4月1日
今日から新年度です。グループに新しい仲間を迎え、ちょっと人見知りをしつつ挨拶まわりやらしていたら1日仕事できず。

後任は2つ上。向かいに座りながらやりづらいったら。

ただいま

2005年3月31日
今日長い海外出張から帰ってきました。

やっぱり日本はいい!

帰国後その足で職場へ。そして異動の準備(向かいに移るだけだけど)をする。・・・しばらくまともに休みもとれそうにないなあ。

行ってきます

2005年3月26日
今日から海外出張に行ってきます。今回の出張は子どもの引率出張。子ども嫌いな私にそういう出張を命じる気がしれないけど。

31日に帰国予定。そして4月1日には新しい係へ。過酷なスケジュールね。

送別会

2005年3月25日
今日、尊敬すべき幹部の異動が決まった。私も異動が決まったから仕事的に困ることはないけど、でも複雑な気分。

そして今日は課の送別会もあった。私も異動だったけど課内の異動だから送別の対象ではなく。そして明日から出張なので送別会が終わってから職場に戻った。

これからいろいろ忙しそう。
今日は尊敬する幹部との出張。当初は1泊で考えていたが諸般の事情で日帰りになった。幹部と私と私の部下の3人で行く久しぶりの出張。ANAもJALもストがあるかもで飛行機を変更したりいろいろあったけど、何とか無事に現地に行くことができた。

用務が終わって空港で現地に用事があった部下と別れ幹部と2人で喫茶店へ。サンドイッチをぱくつきながら幹部と仕事の話をしていたときに課長から内示の電話があった。

りんさん、4月から隣の係に異動してもらいます

はあ。ありがとうございます。

異動先はウワサどおりだった。ちょっとショックを受けつつも幹部に内示があった旨報告をした。異動先はいろいろ課題が多いところなのだけど、幹部は異動先の仕事についてご自分の考えをいろいろ話してくださった。他の人たちはこの幹部の提案をうるさく思っていたけど、私は課長も補佐もかまってくれないこともあったからかもしれないけどこの幹部の言葉は貴重なものだった。今回の話も非常に重みのある考えさせられる言葉だった。

4月からいろいろ勉強する必要がある。前任は仕事しない人だったからその後始末もいろいろあるだろう。でも私は私なりに頑張る。今までもそうしてきたしね。

え。異動ですか。

2005年3月19日
3月は忙しくなりそうと思って前倒しで仕事をしてきたけど・・・やっぱり忙しい!

まわりがみんな異動が確定なので私は居残りだと思ってのんびりしてきたけど、どうやら異動らしいということが発覚。育休中の人からメールがきて私の仕事についていろいろ聞かれて何だか変だなあと思っていたらどうやら私の後になるらしい。

え。私の後が決まっているということは・・・私は異動ですか。

異動したいなあと漠然とは思っていたけど、一生懸命やってきた仕事。なんだか複雑な気持ちは隠せない。しかも異動先はまた後始末系。今度はいくつ地雷が埋まっているのかしら・・・やれやれ。

ということで3月末は変な出張に加えて引き継ぎ準備で休日出勤ばりばりです。あーあ。

実態調査

2005年2月22日
昨日・今日とあまり仲良くない同僚と出張。同僚の担当している仕事について実態調査の旅でした。でもこの仕事って来年度は私の方に押し付けられそうでいやなんだけど。

出張としては私にこの仕事を仕切らせろ、と言いたくなるくらい意義深いものだった。でもしきり方は難しいかもね。

でも今回の出張はあまり仲良くない同僚からいろいろ聞けて有意義でした。

そして職場に戻った私が仕事モードではないのに何とか頑張っていたのにまたしても補佐で撃沈。

仕事でつきあいのある会社の副社長が挨拶に来たいという話をがきているという話をしたら「来なくていいって言えば」という補佐。

はあ?副社長だよ?あんたごときが何いってるの?

憮然とした顔をしていたら後から補佐がいろいろ言ってきた。あまり頭にきたので「補佐の判断はおかしいです」くらいのことを言ってしまった。

仕事が忙しくても求められる判断にはきちっと対応していかなくてはね、と思った今日の午後。

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